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藤原重家 (左近衛少将) : ミニ英和和英辞書
藤原重家 (左近衛少将)[ふじわら の しげいえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
近衛 : [このえ]
 【名詞】 1. Imperial Guards 
少将 : [しょうしょう]
 【名詞】 1. major general 2. rear admiral 3. air commodore 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 

藤原重家 (左近衛少将) : ウィキペディア日本語版
藤原重家 (左近衛少将)[ふじわら の しげいえ]

藤原 重家(ふじわら の しげいえ)は平安時代中期の廷臣。左大臣藤原顕光の長男。母は村上天皇の皇女・盛子内親王。容姿に優れ光少将とうたわれた。
== 生涯 ==
左近衛少将を経て、長徳元年(995年五位蔵人に補され、翌長徳2年(996年)には従四位下〔『蔵人補任』〕に叙された。
長保3年(1001年)には美作守に補任されるが、同年いわゆる「寛弘の四納言」(藤原公任藤原斉信藤原行成源俊賢の4名)が陣座で朝政の議論をしている様子を目にして自らの非才を覚り、親友の源成信とともに園城寺にて出家して遁世する〔『古事談』『愚管抄』『今鏡』などによる。実際には、長保3年2月の時点では行成は蔵人頭であり、まだ議政官にはなっていなかった(他の3人は参議)ため、陣座で4人が揃って朝政を論じあうことがあったとは考えにくい(竹鼻績『今鏡(中)』講談社学術文庫、1984年)。〕。この報に接し、父の顕光は悲嘆に暮れたという。同じく近衛少将を務めて出家した寂源の弟子となった。没年含め、以後の消息は定かではない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原重家 (左近衛少将)」の詳細全文を読む




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